新しい芸人の生き方
しょぼい芸人です!
今は店のオープンに向けて動いてるんですが、その中で、この起業が成功すれば新しい芸人の生き方が生まれるのでは?と考えるようになりました。
そのように考える理由を3点挙げます。
①自分で劇場を持てる。
多くの売れない芸人は劇場(=ネタを披露する場)の出番がなく、出演料やノルマを払ってまで劇場に出てネタをします。
芸で生きていこうとしているにもかかわらず、その芸を披露する為にお金を払うのは本末転倒です。
しかし、自分で店を持ってしまえばその必要はありません。店の中のスペースでネタを披露するのは自由ですし、何組か芸人を集めればライブを主催することも出来ます。
②面白い人の溜まり場になる=ネタになる。
芸人(変わり者)の周りには必然的に面白い人間(変わり者)が集まってきます。
多くの芸人はそういう面白い繋がりを外に求めて飲み歩いたりしますが、店舗を持ってしまえばその必要はありません。
自分が店を開いて面白いことをしていれば勝手に面白い人はそこに集まってきます。
そこで生まれた繋がりは芸人にとってもお客さんにとってもネタになりますし、また新たな面白いことを始めるキッカケの場になるかもしれません。
③バイトする必要が無くなり、名が売れた分だけ店舗の売り上げも増える。
多くの芸人は芸人を続ける為にバイトしますが、芸人が「○○でバイトしてるので来てください!」と言ってバイト先の売り上げが増えても時給は変わりません。
しかし、自分で店を開いてしまえば、自分の名が売れて集客力が上がるほど手元に入るお金は増えます。
さらに若手芸人で店舗を運営しているのは特異な存在なので、話題性を持つことも出来るのではないかと考えています。
芸人として有名になれば店が潤って収入が増え、収入が増えれば店を無理して開ける必要も無くなってくるので芸人としての活動の自由度も高まります。
芸人が店舗を持つことでこのような相乗効果が期待できると考えています。
駆け出しの芸人が店を開くことは今までありませんでしたが、この店舗が成功すれば、新しい芸人の生き方が生まれるのではないかと思います。
更にこの手法はお笑い芸人に限ったことではなく、これから名を売っていこうという駆け出しのクリエイター全般(ユーチューバーやミュージシャンなど広義の芸人)も当てはまります。
駆け出しのクリエイターの新しい生き方を提唱して、何より面白い場を作って行くためにもしょぼい起業頑張っていきます!
少しでも多くの方に支援、応援していただけると嬉しいです。よろしくお願いします!
しょぼい起業 ①
しょぼい起業の最近の進捗です。
①物件探し
西の御大である難民社長さんに協力してもらって、地元で物件を探しました。
とにかく歩き回って、不動産屋にとにかく突撃しまくりました。
結果として、駅前でも初期費用50万くらいで借りれる居抜き物件が3軒ほど見つかりました。
探せばある。頑張りましょー!!
その中の1軒でほぼ物件は決まりました。
店舗が決まったのと同時に、この物件探しで地元回って、なかなかええ街やなと思いました。
ゆったりとした時間が流れつつ、商店街では活気があり、ええとこで生まれたなと思います。
こういう身近な幸せに気付けたのも収穫でした。
②食器など貰った
店舗がほぼほぼ決まったのは良いんですが、賃料や礼金などで貯金がほぼ吹き飛ぶので、備品やら仕込みやらどうしようと考えていました。
そんな時にまたまた難民社長さんのお誘いで、中田考先生の引越し手伝いに行く機会がありました。
ただ引越しの手伝いかと思いきや、なんと家の備品良いのあれば持ってっていいよーと言われたので遠慮なく食器やカップなどを頂きました。
めっちゃラッキーやん!!と思いました。
こんな感じで周りの人に助けてもらって生きていければいい感じですね(`ェ´)ピャー
③東京行った
エデンとしょぼ喫巡るために夜行で東京行きました。
店が教会のように機能していて、上手くいってほしいという祈りを集めて店が上手くいっている現場を目の当たりにしました。
自分にカリスマ性とかコンテンツ力があるかは不明ですが、とりあえずアイツの店上手くいってほしいなーと思われる人間になろうと思いました。
えらてんさんに、西のしょぼ喫は絶対うまくいくとお墨付きいただいたので、その言葉が嘘にならないように頑張ろうと思います!(`ェ´)ピャー
とにかく今は全てが前向きです!
前のウジウジ悩んで全部諦めてた自分とは大違いです!
やっていくしかねえー!
事故って死にかけた
2ヶ月くらい前に自動車で事故って死にかけました。
人生で初めての、これマジで死んでたかもなっていう経験だったので色んなことを考えさせられました。
この経験がしょぼい起業をするという行動にも繋がっているので、良ければ読んでください。
2ヶ月前、大学の卒業旅行で友達数人と自分で、京都から中国地方に向かって高速を利用してドライブしていました。
途中で一旦パーキングに入ろうということで、入り口のところまで来たのですが、入り口が複雑でわかりづらく、急ハンドルを切って車は勢いよくガードレールに激突してしまいました。
そこで、ガードレールにぶつかって止まったから良かったものの、もしもう少しでもスピードが出ていて、止まれなければ、ガードレールの下5mくらいを落下していたと思います。
少し前に、高速から車が落下して20代の男女3人が亡くなられたという事故がありました。(https://t.co/Kzj19uNfR7)
本当にこの事故の様な感じで、自分たちの場合はガードレールに助けられたので、高速から何とか落下せず全員今も生きていますが、友人のうちの1人が事故の衝撃で頭部を負傷してしまいました。
大量に出血して救急車で運ばれていく友人、その友人の安否もわからず現場に残され、事故の恐怖ともしかしたら大切な友達を失ってしまうかもしれないという不安に押しつぶされそうでした。
僕たちは運良く、負傷した友人も含めて全員元気に帰ってこれましたが、死というものが落とし穴のように日常に普通にあるんだなということを恐ろしいほど実感しました。
この経験から、「自分の責任は自分にしか取れない」ということを考えました。
「自分の責任は自分にしか取れない」
本気で死ぬかもしれないという経験をした人にならわかると思いますが、人間は皆1人で生まれて1人で死んでいきます。
人生は何かをする/しないという選択の連続ですが、その選択には自分以外誰も責任を取ってくれません。
例えば事故で運悪く死んでたとしても、それは友達と卒業旅行に車で行くという自分の選択の結果なので、誰も代わりに死んでくれたりはしません。
運転してた友達に、お前のせいで死んだだろ!責任とれ!と言っても生き返れません。当たり前ですが。
これまで自分は何かにつけて責任を取るのが怖くて、それを避けて生きてきましたが、何かをするにしてもしないにしても全てが自分の責任だとわかった時、開き直って生きてみようと考えました。
多くの人は周りと違うやりたいことがあったとしても、リスクを考えて行動しません。当然です。周りと違う行動をとって失敗すると、それは全て自分の責任になるからです。
しかし、やりたいことを我慢して、周りに合わせて生きる人生の責任を取るのも自分です。
結局、自分が何かをするにしてもしないにしても、全ての行動の責任は恐ろしいほど自分にあります。
僕の場合、やりたいことをやって失敗した時の責任は取れても、やりたいことをやらないで周りに合わせて何十年も生きる責任は自分で取れないなと思ったので、行動することにしました。
周りと違う生き方をしようとすると、多くの周りの人から「なぜ周りと同じように出来ないんだ!」「そんなことしても上手くいくわけがない!」と言われます。
それでも結局選択に責任を持って生きていかないといけないのは周りの人ではなく自分です。
(勿論そういう人達の中にも、本当に自分の事を思って止めてくれる人もいます。大切にします。)
自己中心的すぎる!と言われそうですが、自分で自分の行動の責任も果たせない人が他の人を幸せにすることはできないと思います。
長くなりましたが、恐ろしいほどに人生は自分で責任持って生きないといけないので、ちゃんと行動の責任は果たしていきましょうという話です。
ただ、責任のことばかり考えて生きるのもしんどいので、ある程度「なんとかなるっしょ!」と思うのも大事です。
「なんとかなるっしょ!」と言ってくれる人たち、「不安やけどまぁとりあえず応援してみるわ!」と言ってくれる人たちを大切にしていきたいなぁと思います。
自分の本当にやりたいことをやっていても生きていけるということを証明するためにしょぼい起業頑張っていきますー!!!
あと、事故が起きて本当に暗い雰囲気の中で、何とかみんなの気持ちを楽にさせたい!みんなの気持ちが楽になるような事を言える存在になりたい!と本気で思ったので芸人目指すことにしました。一緒に事故ってくれた友達達ありがとう。ズッ友だよ〜*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭* ੈ✩‧₊˚
嫌なことから逃げる
はじめまして!
えらてんさんや、えもてんさんのショボい起業を拝見して、自分も関西でやっていきたいなぁと思っている者です。
嫌なことから逃げたいというのが大きな理由です。
自分は18卒の就活をして内定を頂いている大学4年生です。
その就活も、なんとなく周りがしているから始めて、なんとなく地元である関西でやりたいことがやれたらいいなぁという気持ちで行なっていました。
その結果として大阪本社の会社に内定を頂いて、「これでほぼほぼ関西には居れるだろうな」と思っていました。
しかし、配属先は故郷である関西から遠く離れた見ず知らずの県になりました。
配属先がわかったときはかなりショックでしたが、「もう大人だから」仕方ないと割り切って考えていました。
故郷を離れること、遠くの全く見ず知らずの土地に春から行くことを、家族や親戚、友達に伝えると、全員が全員、驚きや悲しみの表情で、「寂しくなるね」と僕に言ってくれました。
この時に、自分が遠くの土地に行くことはあまり周りの人を幸せにしていないなと感じました。
僕は漫才をしていて、「お互い就職しても関西で漫才続けて、M-1で勝ち進んで芸人なってやろうぜ」と言っている相方がいます。
中でも、その相方に故郷を離れるということを伝えるのは苦しいことでした。
なぜなら、それはもう相方と漫才が出来ない、夢を諦めることを意味するからです。
それでも、そんな理由で、嫌なことから逃げることは出来ないだろうと思っていました。
もう大人だから、思った通りにいかないことにも我慢して耐えないといけないと思っていました。
そんな中でしょぼい喫茶店や、マグリブ、エデン京都などがえらてんさんのしょぼい起業メソッドで形になっていくのを目の当たりにしました。
色んな人がしょぼく生きていこうとするのを見て、自分は何のために生きるんだろう?、嫌なことから逃げ出した人間は生きる価値がないのか?ということを考え始めました。
なぜ嫌なことから逃げ出してはいけないのか?
そもそも僕は、やりたい事が出来て、大切な人達が周りにいたらそれだけで幸せだったのに、いつからそれらを全て捨てて、嫌なことを受け入れなきゃいけないと思い始めたのか?
散々考えた結果、嫌なことから逃げ出すと、生きづらくなるような社会はおかしいと思うようになりました。
なので僕は嫌なことから逃げ出しても、生きていけるということを証明するために、僕もしょぼい起業を始めたいと思います。
嫌なことから逃げたいのになかなか逃げれない人達、みんなで逃げてしょぼく生きていきませんか?